ハイチの朝が来た。
朝食を7時から8時の間に取らなければならず
早寝したため、7時には朝食をいただく。
果物とパン、珈琲という感じ。
ゲストハウスの中はのんびりとしていて、ゲートに銃をもった
セキュリティがいるものの、不穏な気配なんてない。
9時になってフジコさんが歩いてゲストハウスまで来てくれた。
このあたりも相当治安が悪いからと言っていたけれど、
彼女の暮らす家(教会らしい)はすぐ近くで、しかも突然
車が故障したら使えなくなってしまったとか。
とりあえず家に行こうと歩いて出かけることになりました。
意外にも外は普通の日常が送られています。
まあ、そりゃあ子供も女性も暮らしているのだから、
怖いだなんて、ちょっと大げさだったり、申し訳なかったりする気持ちもある。
それでも充分警戒すべきではあるのだけど。。。
フジコさんの暮らす家の敷地に入ると、彼女の息子さんと
Yさんの娘さんが迎え入れてくれました。
ハーフって本当に可愛い。
ふわふわのくるくるパーマ! 可愛いです。
その後、車は修理に出すということで、地元の人が使うタプタプという
乗り合いトラックのような車に乗って、ペシオン・ビルまで行くことに。
日本大使館もある、首都ポルトプランスの近くの街らしい。
乗っている間、どんどん人が乗って来て、
座っている椅子がお隣さんとお尻がぴったりつく感じ。
道は鋪装されていて、非鋪装のガタガタな道を想像していたハイチでは
ちょっと予想外ではありました。
ハイチで暮らす人にとって、忘れることのできない
2010年1月12日の大地震。
死者31万人を超え、惨憺な光景が広がっていたという。
「このアタリも、死体がごろごろ転がっていたの」
想像はしても、想像なんて結局のところ現実以下のことしか分からない。
「たくさんの支援が海外から来たのに、それもなかなかね…」
腐敗した政府によって、充分な復興を遂げるに至らなかったという。
だから、この鋪装された道も結局完成したのは1年前だという。
ペシオン・ビルについた。
正直写真なんて撮る余裕もないほど人がざわざわと行き交い、
ぎろぎろとした目でこちらを見てくる怒ったような視線を感じ、
喧噪の中を歩き過ぎるまで、まるで海の中を息を止めて泳ぐような 苦しさがありました。
その後、ペシオン・ビルの高級ホテルに入り、その屋上から街を眺めると
そこに広がった見たことのないような街並!
山の傾斜にそって、ぎっしりとみっしりと立並ぶ家は
なぜか半分は色を持たず、半分は色彩をもっていて
「おそらく、半分色を塗らせたのは政府なんだけど、なぜだろう」と
フジコさんも不思議がっていました。
その後、フジコさんの教会に通う男の子がボディガードということで
わざわざ来てくれて、一緒に街歩きをしました。
とにかく、暑い!
正直もう、頭がくらくらして、頭痛が始まっていました。
街並は、中心地ということだけあって、大地震の跡も
そこまで目立たずでした。
街では、土産物や絵画を売る人たちが路上にいて、
ほぼ観光客のいない街で、だれが買うのだろう?
と思ってしまった。
ふたたび、タプタプに乗って、フジコさんの教会に戻ると
可愛いくて、日本語も上手に話せるフジコさんの長女さんが
私のために、YouTubeを見ながら作ったというブレスレットを
プレゼントしてくれました。
嬉しいし、愛しい!
どこに生まれても、心はすくすく、フジコさんたちの
愛情いっぱいもらって育っているんですね。
と感じ、そういう瞬間は、なんだかウルッときちゃうなあ。。。
つづく