2014年5月、瀬戸内海と島に恋をした。
穏やかに美しく煌めく海には、幾つもの大小なる島々が浮かび
水面をすべるように行き交う船がある。
曇りがちな空は海の色と同化し、島はまるで空に浮かぶ雲のよう。
やがて、島と島の間に落ちていく夕陽は、世界を朱色にした。
その瞬間、私は胸が少しだけ苦しくなる。
愛しい人とつかの間の別れを惜しむように。
言いようのないノスタルジックな、海と島の織りなす風景。
哀愁すら覚えるのはなぜだろう。なんだか、遥か昔から、ここを知っているかのような。
原風景、というのか。
ここ瀬戸内海は、日本で最初に指定された国立公園だ。
(さぬき広島の王頭山から見下ろす瀬戸内海)
私が初めて瀬戸内海を訪れたのは、2014年5月、
高見島、佐栁島、牛島、さぬき広島、小手島、手島、直島、豊島、犬島を旅しました。
長くて、あっというまの世界放浪の旅から戻って、東京にいるのがどうも居心地が悪くて。
そもそもの目的は、猫の写真を撮ることと、瀬戸内海のアートを見に行くことでした。
けれど振り返ってみれば、心に深く残ったものは、
誰の手にも触られぬまま、ただ静かに朽ちてゆく古く美しき日本家屋、
人の気配を感じられる実り豊かな畑、緑おいしげる林と
あちらこちらに咲き誇る花々、山の斜面につくられ段々畑(跡地)、
ゆっくり、ゆっくりと集落を歩いていくお年寄りの姿……。
その光景は「美しき原風景」ではないかと思った。
そう、世界を旅してまわっている私が、旅の途中でみつけた
心地よい居場所は「故郷、日本」にあったのです。
しかし現実、島は過疎化のため人口は減りつづけ、
家はほとんどが空き家となり、島は深刻な問題をかかえている。
そんなおり、さぬき広島の方々とご縁があって出会い、
「いま、島をなんとかせないかん」というお話を聞くことができました。
なぜなら広島には、観光地として機能するうえで最低条件の
食堂や宿泊所、お土産屋さんなどがないため、観光客が来ることも
そう多いわけではない。
島は高齢化を迎え、島の人口は減り続けています。
(王頭山の頂上は「王頭砂漠」とよばれ、石庭のようになっている)
帰京し、モヤモヤとする気持ちを整理するように
企画書なるものつくって、旅、離島作家として尊敬する
斎藤潤先生(じゅんさん)にお話をしにいきました。
彼は、私が出版社時代に編集担当したときの著者でした。
一緒に仕事をしながら、彼の原稿を読み、
改めて日本語の美しさを学んだし、日本の知られざる秘境や
旅とはどんなものか学んだ気がしまう。
しかも、瀬戸内海への島旅についてあらかじめ助言としてくれたのも
さぬき広島の方々を紹介してくれたのも、じゅんさん。
彼にお話したのは、こういうことです。
「美しい日本家屋を残したい。
空き家となっている古民家に息吹を吹き込みたい。
それには、宿泊所のない広島で、古民家を自分たちで再生して
泊まれるようにしたらどうか」
それから、
「子供達に島体験をさせたい。船に乗せたい。
島という特別な舞台で自然と触れ合ったり自給自足の体験をする」
というようなことからスタート。
船に乗せたい、という想いは私自身が感動したこともあって。
船というのは旅情や風情があるだけでなく、
別れ際、「別れを惜しむ」ということをとてもストレートに体験できるのです。
陸から船が離れ、お互いがみえなくなるまで手をふり続ける。
そんな別れは、とても胸が震えるのだと知りました。
じゅんさんに、「やってみよう、島の皆さんに話をしよう」
ということになって、こうして島に出向く日々が始まりました。
向かったところは、さぬき広島の茂浦(もうら)という集落と手島です。
(つづく)