5月に初めて訪れた瀬戸内海と島に恋をした。
島に生きる人々や暮らし、そこに存在する原風景ともいえる光景。
島という舞台に魅せられた。
そのおり、瀬戸内海の塩飽諸島にあるさぬき広島の茂浦(もうら)で
「島をどうにかしなきゃいけん」という話を聞き、
旅作家の斎藤潤さん(じゅんさん)とともに再び島へと向かいました。
6月10日、東京から高松へ飛び、それからバスで丸亀港まで移動、
船に乗り換えてまずは手島へ。
手島というのは、羽を広げた蝶蝶のような形をした島で、
主に集落があるのが、蝶蝶の身体の部分(中心)の上半分くらいで、
両方の羽にあたるところは山になっている。
手島は、前回一人で廃校となった小学校に泊まったのだけど、
「手島自然教育センター」という名前になって、現在は宿泊施設として
使われている。
島には、じゅんさんが連絡を入れてくださっていて、船の到着にあわせて
手島自然教育センターの管理者である高田さんがお迎えにきてくださり
学校にて「島プロジェクト」の話をすることなりました。
高田さんに話をすると、時折相づちをうちながら「はい、はい」と
静かに話を聞いてくださった。
私たちの話が終わると、企画書を眺めながら、
「手島には現在100軒ほどの空き家があるんですが、持ち主も
年に一度くればいいほうで、もう何年も空き家になっているところが多いんですよ」と仰る。
瀬戸内海の(というか日本全国の)島々を取材し続けている
じゅんさんの話だと、手島は築100年以上のものばかりが残り、
塩飽大工とよばれる職人が手がけた家ばかり。
それゆえ、日本家屋という意味では十分すぎるほど立派だし
古き美しき建物を残すという意味では非常にやりがいがある。
とはいえ、不安なことは手島の高齢化問題。
いくら「島プロジェクトをやりましょう! 古民家再生!」と言っても
なかなか動いてくださることも難しいのではと思っていました。
ところが、「じゃあ、ちょっと古民家みてみますか」ともの静かな高田さんが
すぐに案内をしてくださったので、驚きのほうが大きかったです。
空き家となっている古民家へと案内してくださる高田さん(右)とじゅんさん(左)
古民家は実に、立派な平屋でした。
中に入ってみることができました。
中に入り、これを再生するのはかなり難しいかも……
簡単にお掃除したからといって、泊まれるようになるのは現実的ではない。
というのが私とじゅんさんの第一印象。
泊まれるには、畳もすべて張り替えたり、泊まるための安全問題として、
天井や梁などの強度も確認しなければならないだろうし、
プロの介入なしには難しいだろうと。
だからといって、今回特別な資金を持ち出してプロジェクトを
やるつもりではないし、自分たちでできる範囲で動くつもりなのです。
お金をかければ家は当然再生するだろうと思う、
でも実際お金なんてない。
そこで諦めるのではなくて、できる範囲でやれることを見つけるしかない。
手島に関しては、課題を持ち帰るという感じになりました。
それでも、島プロジェクトを前向きに受け止めてくださっている、
その気持ちを確認できただけで、手島については大満足。
今後のことは、ゆっくりと考えていくつもりです。
つぎは、さぬき広島の茂浦と移動。
移動はもちろん、フェリーです。
—— 写真アルバム,——-
手島自然教育センター(廃校を宿泊施設にしている)