本土を北海道をつなぐ船

【青函フェリー】津軽海峡を越える北国の船旅

北前船の最終地であり、多くの恵を本土にもたらした航路

本州最北の青森から船で北海道へ渡るのはひときわロマンを感じる。江戸時代に活躍した北前船も、はるか遠くは北海道(蝦夷地)まで人や物を運び、北国の恵を畿内へと運んできた。幾多の船が、青森と北海道の狭間に広がる津軽海峡を越え、日本を繋いできた。
津軽海峡は、太平洋と日本海を結ぶ国際海峡であり、国内外の船舶が往来する海域。古来、海運の大動脈であり、軍事上はチョークポイントとされる要衝である。
青森港と函館港を1日16便で結ぶ青函フェリーは、栗林商船を親会社として、令和4年に共栄運輸と北日本海運が合併して設立された新会社。栄運輸は大正12(1923)年に創業し、主に物流事業に従事してきた海運会社で、昭和19(1944)に設立した北日本海運は、平成12(2000)年の海上運送法の改正以降、主に一般旅客定期航路事業に従事してきた。
現在、青函フェリーが保有する4隻の船舶は、栗林商船の屋号「丸七」を継承したファンネルマールが見られる。

  1. 青函フェリー
  2. 船社の概要/アクセス

新造船「はやぶさⅡ」「はやぶさⅢ」(2999トン)に乗船!

今夏、青森港から函館港まで、青函フェリーの新造船「はやぶさⅡ」(2999トン)に乗って、津軽海峡を越える船旅をしました。先代の「あさかぜ5号」よりも大型化し、定員は約3倍の300人へと拡大。船首の形を球状にして波の抵抗を減らし、船底もV字型にすることで揺れを抑えるなど構造を見直したそうです。また、燃料効率の向上を図り、従来よりも省エネな船に。

船内は、ぬくもり感のあるベージュや落ち着いた雰囲気のライトブラウン、明るい白を基調色として、北国らしい爽やかさと上品な印象を受けます。
船内デザインには、函館にゆかりのある“五稜郭”、赤い実を付ける“おんこの木”、道南に多く生息する野鳥の“ヤマガラ”をモチーフに使用しています。同じく、新造船「はやぶさⅢ」には、青森にゆかりのある“刺し子”や“りんごの木”、“ふくろう”などをモチーフにしています。青函フェリーによると、「地元の人たちに、“我が街の船”と愛される船になってほしいという思いが込められています」。

船内の客室は、ベッドが置かれたステートルームやゆったりと座れる2等椅子席、カーペットの2等席、バリアフリー椅子席、女性専用の2等座席とバリエーションが増え、客層やニーズに応じて利用できるようになりました。
船長は、「北海道と本州をつなぐ本船は、地元の人たちにとっての生命線。新造船になって、よりバリアフリー設備が拡充したことで、お年寄りや子供、体が不自由な人も安心して安全な船旅をしてほしい」と言います。

船内は、バリアフリーエレベーターやバリアフリートイレはもちろん、船内の壁の至るところに点字付きの手すりが設置。車椅子専用スペースと優先席エリアが一緒になった「バリアフリー椅子席」は、その広さと席数の多さから「どんな人にも安心安全の船旅を」という同社の思いが具現化した姿だと感じました。女性専用の客席には、鏡付きの着替え室があり、靴箱には北国ならではのブーツがおける靴箱が備わり、女性目線の配慮がしっかりと行き届いています。

力強い太陽に送り出されて青森港を出港し、津軽半島と下北半島に抱かれた陸奥湾を抜け出ると、ゆらりゆらりと船が揺れ始めて津軽海峡へ。デッキに出ると、驚くほど海面が近くに見えます。運が良ければ、イルカやクジラが見られることもあるそうです。

約4時間の移動中にすっかり日が沈み、函館の夜景が海上に見えて来ました。函館港は安政6(1859)年に国内最初の貿易港として開港された港の一つ。街並みの美しさと、ようやく辿り着いたという安堵感に胸打たれ、これまで津軽海峡を渡る多くの乗員乗客も同じような思いを抱いて船旅をしてきたのだろうかと感慨深くなりました。

昭和63(1988)年に青函トンネルが開通し、津軽海峡を渡る多くの船舶が姿を消したようですが、青函フェリーをはじめとする青函間の船旅は、後世にわたり存続してほしい日本の宝だと思います。“だれにも優しい船”になった新造船がその先駆けとなってくれると信じています。

(エコモ財団広報誌「ECOMO」/小林希執筆 より記事を抜粋)
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