古くから、石の島として名を馳せたきた讃岐広島。香川県丸亀市の沖合13キロほどに浮かぶ、塩飽諸島でもっとも大きな島。
最盛期には60も70もあった採石場は、現在5、6丁場しか残っていないけれど、許可をもらって案内をしてもらうと、圧巻の絶景に出会える。石職人が何世代と、せっせと削っていった岩肌。そこには、何億年の歳月が生み出した、幾層織りなす地球の内側が立ちはだかる。
ここで、島遺産とも呼べる旧暦の正月に行なわれる百々手神事が、茂浦という集落で、戦国時代から、厳かに、ひっそりと行なわれている。その日、裃を着てサムライになった島の人たちは、弓を1008本放ち、神様へ捧げる。
まるで時空を越えて、はるか昔の光景を眺めているよう。
その日、島の人たちはサムライになる
塩飽諸島は、戦国時代から塩飽水軍が活躍し、江戸時代になると、幕府に仕えることで直接自治することを認められた、“人名”という御用船方の本拠地でした。
水夫も多くいて、かの有名な咸臨丸の船乗りも、その7割にあたる35人がこの島々から出ています。
讃岐広島からは、11人の水夫が乗ったそうです。
歴史的には、瀬戸内海のこの地は、日本の躍動ある交易の中心地だったのです。
ところが現在、讃岐広島の人口は200人弱。
海沿いに集落が7つありますが、どの集落も20人〜30人程度。
子供はおらず、学校も廃校となってしまっています。
観光的な側面でいうと「あんまり、見るところがないなあ」という地味な島です。
だけど、ここで厳かに、何百年と続いていると言われる神事があります。
射手が弓を放ち、その地区の発展や家内安全、無病息災、悪魔退散の厄払いをする儀式です。
百々手神事の日、裃を着た男性は、上は81歳のおじいちゃんから、下は30代の若手たちで11人。
「うちの裃はもう、100年ものやけん」
茂浦の漁師、木下家のおばあちゃんが、そう言います。
その家で代々受け継がれている、世界でたったひとつの和装です。
昔から、平民の島人たちは、裃を着たときだけは、「サムライ」になれるとされてきました。
住職の隣の席に座っていた、自治会長の平井明さんが、座布団からよっこいしょと立ち上がって、神事の挨拶をはじめました。
「茂浦もだんだん人が減っているけれど、この日はこうして皆が集まって、大事な神事を今年も行なうことができて嬉しい」
やがて一番射手のサムライたちから、一人一人にお神酒が振る舞われる。神聖ながらも、酔い酔い、楽しい神事のスタートだ。
その後、神の的へ、1008本の弓が放たれます。
猫が彩る、島の景色
のどかの島の情景にかかせない猫の姿。
猫と人の関係が、島の穏やかさに現れています。
子供のいない島にとって、猫は子供のように愛されているのでしょう。